弟の右に鳥を足すと「鵜」という漢字になります。
あまり見慣れない漢字かもしれませんが、日本人にとってなじみのある鳥を意味する漢字です。
本稿では「鵜」の読みや意味、古典での用例などを紹介していきます。
「鵜」の基本情報
「鵜」の基本情報は以下の通りです。
漢字 | 鵜 |
---|---|
部首 | 鳥(とり) |
音読み | テイ |
訓読み | う |
「鵜」は、本来ペリカン科の水鳥の総称です。
古くは、ペリカンのことを「鵜胡(ていこ)」と表現していました。
「鵜胡」について、説文では「汚澤(おたく)なり」と説明しています。
汚澤とは汚れた沢を浚う(さらう・川や池などを掃除する)ことです。
ペリカンが餌を獲る時には、あごの大きな袋で水面を浚うように捕食します。
これが河ざらいをするように見えたことから「汚澤」といったのです。
日本の「鵜」
日本では訓読みの「う」が一般的です。
つまり、日本の伝統漁法である「鵜飼い(うかい)」に使われる「鵜」の意味です。
中国でも単に「鵜」という場合には鵜飼いの鵜を意味することがあり、必ずしも「鵜=ペリカン」というわけではありません。
古い歴史を持つ「鵜」
伝統漁法である鵜飼いは、日本と中国で古くから行われていました。
鵜飼いの歴史を知ることで、「鵜」の漢字がより面白く感じられます。
日本は海鵜・中国は川鵜
日本と中国の鵜飼いはどちらも非常に似ているのですが、日本では「海鵜(うみう)」を使うのに対し、中国は「川鵜」を使う点で異なります。
日本は島国であるため海辺には海鵜が棲んでおり、海鵜による鵜飼いが行われたのに対し、長江や黄河といった大きな川が多い中国には川鵜が多く、川鵜による鵜飼いが行われたものと考えられています。
鵜飼いの歴史は3000年?
鵜飼いが中国でいつ頃から行われていたかは定かではありませんが、日本では少なくとも3000年近い歴史があると考えられています。
というのも、日本最古の歴史書である『古事記』に、鵜飼いについて既述があるのです。
『古事記』の神武東征のくだりには、以下のような歌が記されています。
楯並めて 伊那佐の山の 樹の間よも い行きまもらひ 戦へば 吾はや飢ぬ 島つ鳥 鵜養が伴 今助けに来ね
(伊那佐山に陣を布き、樹の間を行きつ戻りつして敵を見守り戦った。苦戦の末、食糧難に陥った。鵜飼いを職とする人々よ、すぐ助けに来てくれ)
この歌にある「鵜養」とは、鵜飼いを職とする部族のことです。
神武東征は紀元前600年くらいの出来事とされており、その時代にはすでに鵜飼いが存在していたことがわかります。
まとめ
本稿では、「鵜」について解説しました。
訓読みを知り「鵜飼い」と紐づけて理解すれば、難しいイメージはなくなることと思います。
また、日本でも中国でも「鵜」の歴史は古く、古典などで「鵜」の漢字をしばしば見かけます。
日本の古典ならばほとんど「鵜飼いの鵜」の意味ですが、中国では「鵜飼いの鵜」に限らずペリカン科の水鳥を広く意味することもあるので、日本の「鵜」と中国の「鵜」のニュアンスの違いを意識しておくとよいでしょう。