さんずいに「歩」をつけると「渉」という漢字になります。「渉」は、それほど珍しい漢字ではなく、例えば「交渉」などのように、日常的にもよく使われます。
しかし、「渉」の本来の意味はあまり知られていません。深く知ることで、漢字の面白さがよくわかります。
本稿で、「渉」の読み方や使い方だけではなく、意味についても勉強していきましょう。
「渉」の解説
まず、「渉」の基本情報を確認しましょう。
漢字 | 渉 |
---|---|
部首 | 水(さんずい) |
音読み | ショウ |
訓読み | わたる |
「渉」は、訓読みからも分かる通り、「わたる」の意味を持つ漢字です。
ただし、同じ「わたる」でも、「渡」と「渉」では、深い意味で異なります。「渉」の成り立ちを見ると、それがよくわかります。
「渉」の成り立ち
「渉」は水を意味する「さんずい」と「歩く」から作られている通り、「水の流れを歩いて渡る」ことを意味します。
漢字の成り立ちや元の意味を解説する中国古典『説文』にも、「渉」の漢字について、
このように、本来「渉」は川などの「流れのある水」を歩いて渡ることを意味する漢字です。
もちろん、今ではこれに限らず、「わたる」行為全般に使われています。
たとえば、「渉」は「交渉」なども用いますが、これは物理的に水の流れを歩いて渡るのではありません。しかし、交渉における人と人の言葉の流れ、心理の流れなどを、あたかも流れる水のように捉えて「渉」を使っています。
「渉」と「渡」の違い
「渉」も「渡」も、どちらも「わたる」と読みます。
さらに、「渡」にもさんずいがあるように、水をわたることを意味しています。
一見同じに見える両者の違いは、それぞれの漢字が意味する範囲にあります。
まず「渡」は、「わたる」という行為全般に用いられ、橋を渡る、道路を渡る、綱渡りをするなど、色々な場所を渡ることを意味します。
一方「渉」も、水の上を歩いてわたる、あるいはそれに類するシーンであれば、どのような場合でも問題なく使えます。
しかし、「渡」に比べて「渉」は、多分に危険な意味合いを含んでいます。
ほとんど動きのない水、例えば水たまりやプールなどを歩いてわたる場合や、緩やかな流れの小さな川をわたるのではなく、流れの速い大きな川をわたるような場合に、「渉」の漢字を用いることが多かったのです。
「渉」の持つ危険なニュアンス
このことは、上記で引用した『説文』からも明らかです。
『説文』の「渉」のくだりには「水を厲るなり」とありますが、この「厲」という漢字は「はげしい」とも読みます。崖下のような険しい場所を意味するほか、呪いに関する様々な単語に用いられ、危険なニュアンスが含まれます。
つまり、「渉」の漢字は、「渡」のように「わたる」という行為全般を意味すると同時に、より古典的な深い意味においては、大きく、険しい川を歩いてわたるような、危険なニュアンスを含む漢字でもあるのです。
「渉」と「渡」の使い分けの例
以上のことから、危険の少ない場所を、危険の少ない方法でわたるならば、「渡」を用いるのがより正しいと言えます。
例えば、
- 橋を歩いて川を「渡る」
- 石橋を叩いて「渡る」
- 川を船で「渡る」
- 歩行者信号が青になったら「渡る」
- 急流を歩いて「渉る」
- ぼろぼろのつり橋で渓谷を「渉る」
- サーカス団が命綱なしで綱を「渉る」
- 歩行者信号が赤なのに「渉る」
処世における「渉」
上記のように、「渉」が危険を示唆することは、古典での用いられ方を見ても分かります。
孔子も傾倒した学問に「易学」があります。易学は、世の中の真理について様々な形で教える処世の学問です。
易学の経典『易経』の天水訟(てんすいしょう)の項に、「渉」の漢字が出ています。
天水訟は、人と人、組織と組織、国と国などが互いに訴え、争うことを戒める項であり、その中の一文に、
(訟[しょう]は孚[まこと]有り、窒[ふさ]がり、惕[おそ]れて中[ちゅう]すれば吉、終ふれば凶。大人[たいじん]を見るに利[よろ]し。大川[たいせん]を渉るに利しからず)
この、「大川を渉るに利しからず」という句がポイントです。争いは、大きく、激しく、危険な川のようなものだから、無防備に歩いてわたるようなことせず、誰かに相談するなどして、冷静に対処しなさいと戒めているのです。
この意味を明確にするために、「渡」ではなく「渉」を使う必要があったのです。
「渉」の一文字から、古代の哲人の深い考えを汲み取ることができます。このような見方をすれば、古人の教えんとするところを正確に理解できます。
漢字の素晴らしさ、教養における重要性がよくわかるでしょう。