林の下に土をつけた「埜」という漢字をご存じでしょうか。
現代で使われる例はほとんどなく、大多数の人は読めない漢字です。
本稿では、難読漢字「埜」の読み方や意味、用例などを紹介します。
「埜」の基本情報
「埜」の構成と読みは以下の通りです。
漢字 | 埜 |
---|---|
部首 | 土(つちへん) |
音読み | ヤ |
訓読み | の |
「埜」は「野」の異字体(意味・読みは全く同じで形が違う漢字)です。
「埜」の部首は土、「野」の部首は里であるため外見も全く異なるため仲間には見えないかもしれませんが、このような異字体も存在します。
「野」の異字体
「埜」について、説文には「郊外なり」と説明しています。
周の時代には、王城から200~300里(ここでいう「里」は約400m)の地域を「郊外」としていました。
転じて、「埜(野)」は「いなか」の意味にも用いられる漢字です。
「埜」の用例
全く馴染みのない「埜」ですが、これが「野」の異字体であることを意識すれば覚えやすいと思います。
また、「埜」と「野」の用例を比較すれば異字体であることがよく理解できます。
そこで、「埜」と「野」を似た意味で用いている和歌で比較してみましょう。
祇園百合女(ぎおんゆりじょ)を詠んだ歌
幕末の歌人・橘曙覧の歌に「埜」を用いたものがあります。
一つある 葉かげの莟(つぼみ) かき抱(いだ)き
身を埜(の)に朽(く)たす 姫ゆりの華
「たった一つの、葉かげにある莟を抱く(守る)ようにして、ひめゆりの花は野原で朽ちてしまった」という意味です。
単に情景を詠んだ歌にも見えますが、この歌には祇園百合女(ぎおんゆりじょ)という女性の人生を偲ぶ思いが込められています。
祇園百合女は、画家・池大雅の妻である玉瀾(ぎょくらん)の母であり、江戸時代に賢母としても知られていました。
百合女が女手一つで玉瀾を育て上げたことを、莟を玉瀾に、姫ゆりを百合女に例えて詠んだのです。
吉田松陰の辞世
幕末の教育者・吉田松陰の有名な辞世には「野」が使われています。
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
留め置かまし 大和魂
「たとえこの身が武蔵の野辺に朽ち果てようとも、大和魂は(朽ちることなく)留め置くであろう」という意味です。
「自分の死後も大和魂が教え子を感化し、維新の原動力になるであろう」という意味が籠められていることを知れば、歌に迫力を感じます。
どちらの歌も、「埜」と「野」を「野辺」の表現で使っています。
これによって、同じ意味を持つ異字体であることがよくわかるでしょう。
まとめ
本稿では、全く馴染みのない「埜」という漢字について解説しました。
和歌の比較によって「埜」と「野」が全く同じ意味を持つ異字体であることも理解できたことと思います。
「埜」のように、現代では全く使われなくなった漢字を学ぶときは、現代の資料では微妙なニュアンスを掴めないことも多いです。
そのような漢字は、漢詩や和歌から学ぶことをおすすめします。